【パーツ倉庫】ご紹介! 8月21日!ブログ長いです(笑)


本日は、パーツ倉庫の中をチラ見せしちゃいます(*´ω`*)
こちらはベルトコーナーですね!
常に綺麗な状態を維持できるように、整理整頓を心がけています。
綺麗な職場でないと、良いサービスは提供できません!
パーツ倉庫の乱れは、心の乱れ!
心の乱れは、サービスの乱れ!
見えないところにも拘りを持つことが、皆様に愛されるために一番大切と言えるのかもしれません。
全ての商品を綺麗に保管することもティウエスト株式会社の使命です(*´ω`*)
綺麗好きな藤村くんは、移転先ではもっと綺麗にしますよーん(*´ω`*)ぐふふ
10円の商品でも、100万円の商品でも。
届けたいのは、「気持ち」です(*´ω`*)
どんな気持ちかは想像にお任せします(笑)

ここからはかなり長い記事になるので、心してお読みください。
さて、今日は何の日?というサイトで8月21日を調べてみると・・・
▲秀吉、転職を禁止。武士・町人・百姓の間にそれぞれ一線を(1591)
▲大地震により猪苗代湖出現(1611)
▲島津久光の行列護衛の薩摩藩士、生麦村で英人を斬る(生麦事件)(1862)
▲第一回内国勧業博覧会、東京上野公園で開催(?11月30日)(1877)
▲上野公園に日本初の噴水ができる(1877)
▲モナ・リザ、盗まれる。2年後無事返還(1911)
▲新聞に、天気図登場(1924)
▲アキノ元上院議員、米国亡命から帰国。マニラ空港で旅客機より国軍兵士に
連行された直後に射殺(1983)
と出てくるわけですよ。すごいですね(笑)
転職を禁止というのは、今の日本では自殺者続出、倒産企業続出で国家崩壊をもたらしそうです!上司のパワハラが最高潮に猛威を奮いそうですね(*´ω`*)何をしても会社を辞めれないですから・・・。
何より、個人的にびっくりしたのは、
薩摩藩士が生麦村で英人を斬った生麦事件の15年後に第一回内国勧業博覧会の開催。
薩摩藩士と出ているので「鹿児島かな?」と思う所ですが、生麦村は横浜市鶴見区です。
横浜で武士が刀をブンブン振り回していた15年後に上野公園でスーツ着た人達が博覧会を催しているわけですから。
明治時代が日本を変えたと言ったとしても過言では無いかもしれませんね。
もちろん、その時は世界的に考えるとスーパー乗り遅れていましたが(笑)
そして、天気図ですね。
天気図自体は、1875年に創設された東京気象台で技術のなかった日本ではイギリス人を主任をして気象観測を開始したことから始まります。
「ゲルマン人クニッピン氏を雇い入れになり、暴風の方位を精測さしめらるう由・・・・・・その衝に当たる国へ電報にて告げ知らせ、また各港にては暴風信号表を樹て、もっぱら船の安全を」
と、航海する人に向けて研究を進めていたことが伺えます。
暴風警報なるものが発令されるようになりましたが、最初はだれも信用していなくて、警報がなってもみんな無視していたみたいです(笑)
一か月ほど経って、福井県敦賀港と坂井港において東京気象台が暴風警報を出した際に、その後すぐに暴風が来て荒波となり危害を免れたことがきっかけとなり、暴風警報を国民が信用することになりました。これを機に、全国に暴風警報の信号標が建設され、天気図をみる習慣が国民意識に産まれたようです。
当時の日本には、漁船の収穫や船での輸送というのは国民を支える大きな柱でしたからね!
日本の産業を守る為に、イギリス、ドイツの力を借りたという訳です。
感謝ですね!
イギリス、ドイツといえば、車産業も世界の最先端を進んでいます。
ロールスロイス、ジャガー、ベントレー、アストンマーティン・・・
ベンツ、BMW、アウディ、ポルシェ・・・・
車業界では、上記メーカーを含めて世界的に日本の技術が使われています。
互いの技術で支え合える関係を築くことが大切ですね!
今日は何の日シリーズは、ネタが多いのと今日の話だから今日にしか書けないので、もう少し続きますよ(笑)
最後に、アキノ元上院の暗殺事件。
これは、ご存じの方も多いのでは無いでしょうか。いわゆる政府ぐるみの暗殺では無いか?と疑わしい事件ですね。
フィリピンで史上最年少上院議員となったアキノ氏は、大統領が変わった際に戒厳令が発令され反政府危険人物として死刑を言い渡されました。しかし、あまりにも国民から人気があったアキノ氏を死刑にすることは出来ず、治療の為とフィリピンからアメリカへ追放されました。大統領の批判をし続けるアキノ氏は、一方で国民には暴動を起こさないように訴えかけた。フィリピンに戻りたい一心でアメリカを亡命することを決心したアキノ氏は、亡命する前日のTBSの取材に対して「私は明日殺されるかもしれない。事件が起きるとすれば空港で一瞬のうちにおきる」と応えていました。
37年前の8月21日。
フィリピン軍により厳戒態勢となったフィリピン空港に到着したアキノ氏は、兵士3人が飛行機に乗り込みアキノ氏を連れ出します。
タラップを降りた10秒後に、アキノ氏は射殺されました。頭部を撃ち抜かれ即死。
フィリピン政府はタラップ下にいた警備員に扮した暗殺者の犯行で、暗殺者はその場で射殺したと発表。
TBSの調査では、遺体の銃痕はタラップ下からでは無く、後上部より撃ち抜かれていた。また、映像音声解析によりフィリピン軍が「俺がやる!」「撃て!」と発言していることが判明。連行した兵士も途中で一人加わり4人であったことから、その人物が暗殺した可能性を指摘。
最終的には、闇に葬られたこの事件。
国民の為に全てを尽くした人間が、一人の独裁者の意によって暗殺されてしまう景色はこの世界には必要ありません。
こういった事件が過去に起きたことを顧みることで、コロナ禍ではありますが、これが何か事件の引き金にならず、平和な世界が戻って欲しいと思えるきっかけになって欲しいと思います。
アキノ氏が暗殺されたマニラ国際空港は、彼の功績をたたえ「ニノイ・アキノ国際空港」と名前が変わりました。国民の心の中で彼は生き続けていくことでしょう。
8月21日を顧みることで、明治時代という新時代の幕開けと、政治の闇を知り、世界平和に対する思いを見つめ直すことが出来るかもしれません。
こんな話の後に、今日のブログのネタが無かったなんて言えませんね!
なーんてね(*´ω`*)
好評であれば、どこかで続編もあるかもしれません(笑)
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